ÜSA 日本の踊りはいつから始まったのか調べていくうちに、古事記に書かれている天岩戸(あまのいわと)神話に惹かれたんです。その神話に書かれていたのは、太陽の神様がすねて岩戸に隠れてしまった時に、八百万の神々が集まって会議をしたという話。そこで神々が出した答えが「踊ろう」だったんですよ!もうテンションが上がっちゃって。(笑)神様も踊りが好きなんじゃん!って。その時の踊りの様子や雰囲気を現代版にして、古事記を今時期(こんじき)にしたいなって裏テーマを持って制作に入りました。この天岩戸神話がメッセージとして残そうとしたことは、きっと岩戸は人の心の状態なんですよね。それが閉ざされてしまうと、世の中が暗く見えてしまう。その岩戸を開かせるためには、音楽と踊りが最適だってメッセージと自分は解釈したんです。そうして、僕も祭りを作ろうと思ったんです。400年前に始まった伝統的な祭りも、400年前に誰かが始めたことですよね。その瞬間を僕たちもやりたい、この時代にも必要な音楽と踊りと衣装とお祭りがあるはずだと思ったのが、この楽曲をスタートさせるきっかけです。
■捉え方よっては、古事記に書かれていたことが今の時代ともリンクしてしまいますもんね。ÜSA そうですよね。ちょうど今は時代の変わり目にきているとも感じますしね。時代的に切り替わる時やピンチの時って、きっと踊りや祭りが必要なんだと思います。そのひとつになりたいです。
■サウンド・アプローチとしては、どんな青写真を描いて制作したのでしょうか?
ÜSA 古くからある日本の和楽器を取り入れたいという気持ちが最初にありました。それと同時に、最先端のダンス・ミュージックと融合させたいという構想もあったんです。今回は和楽器をDRUM TAOさん、最先端のダンス・ミュージックを作れる最高の若手ということでbanvoxくんにお願いしました。
■和太鼓にDRUM TAOを起用したのには、どんな意図や期待があったのでしょうか?
ÜSA 和太鼓奏者ですばらしい方はたくさんいますが、DRUM TAOさんの場合は見せることに優れているんです。日本だけに留まらず、世界で700万人も動員できるエンターテインメントを魅せれるわけですから。楽曲に参加してもらうだけじゃなくて、魅せることも一緒にやりたいと思ったのでDRUM TAOさんにオファーしました。今回は血が騒ぐ太鼓の音だけじゃなく、笛と金も音も入れています。そのグルーブを感じながら、エネルギーをもらいながら踊りました。でも、太鼓とか笛の音を生で聴くと、レコーディングの晩とか寝れないんです。音は耳だけで聴いているんじゃないってことを痛感しましたね。細胞が踊ってしまうので、そりゃあ眠れませんよね。(笑)それくらい力があるものだと再確認しました。
■楽曲をプロデュースをしたbanvoxさんがどんなアーティストであるのかも、ÜSAさんの言葉でご紹介いただけますか?
ÜSA 僕が初めて知ったのはTV CMですね。なんだろうこの音、新しいな、踊りたくなるなと思って調べたらbanvoxくんの仕事だったんです。今、日本でかっこいいダンス・ミュージックを作れる数少ないプロデューサーのひとりだと思います。実際オファーするに当たって、まず食事会に誘ったんです。そこで音楽の話をしていくと、彼もHIP HOPがすごく好きで、かなり話が盛り上がったんです。その時にコンセプトも伝えて、一番乗りやすいBPMって何だろうって話になった時は僕がその場で踊ってbanvoxくんにイメージしてもらったり。
■彼らだから、この曲で表現できたことは何だと思いますか?
ÜSA Shizukaちゃんの声を取り込んで、それを加工して音に変えていく作業は面白いなと思いました。今までそういう作業をやったことなかったですね。あと、ダンス・ミュージックはキックだという持論があるようで、とてもこだわっているんです。確かに爆音で聴くと刺さるような鋭いキックなんです。これはあまり体感したことがない、踊るにはぴったりのトラックだと思いました。
■和太鼓と打ち込みのバランスって、非常に難しかったんじゃないですか?
ÜSA 打ち込みの機械的な音と、温かみのある生音との融合は、一番難しかったところでした。太鼓と笛の力が強いので、出しすぎると歌や他の音が埋もれてしまったり。banvoxくんをかなり悩ましてしまいましたけど、曲が完成した時は最高のハイタッチができました。
■衣装プロデュースの山本寛斎さんとは、具体的にどのような共演になったのでしょうか?
ÜSA 3年前くらいに〈NEO ZIPANG〉の構想を考えてる時に、たまたま山本寛斎さんが手がけた衣装をみて「これだ!」と思ったんです。でも、斬新すぎて似たようなテイストの衣裳はどこにも売ってないわけですよ。で、今年に入ってバーで飲んでいる時、たまたま隣に座った方の待受画面が山本寛斎さんの衣装だったんです。それが目に入ってしまって、僕から声をかけたんです。そうしたら「私がデザインしたんですよ」と、その方が実は山本寛斎さんと一緒に仕事をしていたデザイナーさんだったんです。そこでいろんな想いを話させていただいて、テキーラで乾杯して(笑)、最後はマネージャーさんに名刺を交換してもらったと。その後、今年の4月に京都の清水寺で祈りの踊りを奉納することになった時の衣装をその方にお願いしたんです。その後すぐに山本寛斎さんご本人ともお食事会の機会をいただいて。そんなご縁があって、今回の作品でもお願いすることになりました。
■衣装に関する感想、この衣装だから表現できたことも教えてください。
ÜSA DANCE EARTHのコンセプトをお話して、日本なんだけど新しい民族に見える感じがいいですねってリクエストしたところ、まさにぴったりな衣装があると見せてもらったんです。寛斎さんもいろんな世界を旅していて、そこで面白いと思った布やアクセサリーをいっぱい買って帰るそうなんです。その布をつなぎ合わせて、ひとつの服にした衣装を見せてもらったんです。そこでもう「これだ!」と思ってしまいました。いろんな世界を旅して集めたものが衣装になって、トータル的に見ると和を感じる。もうまさに“NEO ZIPANG ~UTAGE~”の世界観そのものでした。