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LOST IN TIME WEB LIMITED INTERVIEW

■ちなみに、なんで“ライラック”というタイトルになったんですか?

海北 もともとは太陽族の“戦友”という曲が好きで、“戦友へ”というタイトルにしていたんです。でも、それだと力強過ぎるねって話になって、ちょっとやわらげたいと思って、花言葉から選んだんですね。“ライラック”は色によっても花言葉が違うんですけど、どの色にも「友情」は共通していて。あと、何色だったか、「永遠の友情」と「終わりのない青春」という花言葉も見つけて、ピッタリだなと思ったんです。

■それで“ライラック”だったんですね。納得しました。尖ったほうの曲についても聞きたいんですけど、“赫い日”の「心にも無い良い人演じ続けて」という歌詞は、自分のことなんですか?

海北 常に自分の揚げ足を取る自分がどこかにいて。たとえば、いまもこうして真面目そうに話してますけど、「なにそんなパフォーマンスしてるんだ、本当はロクでもない人間なくせに」と思っている自分もいるんです。でも、そういう部分を振り払ってもしょうがないというか。そういう自分を歌うことで、もしかしたら誰かを救えるかもしれない。

■似たようなことを思ってる人はたくさんいるでしょうね。

海北 自分のことを嫌いな自分って言うんですかね。それが30才を過ぎたあたりから、いなくならないものだといい加減わかってきて、「だったら仲良くしようか」っていう感覚になってきた。自分のなかの嫌いな自分の存在を認めないと、次には進めないのかなって。だから最近は、「お前はそう言うけどさ、まぁ一緒に行こうよ」っていう気持ちで歌ってますね。

■個人的な意見ですけど、歳をとるということは、受け入れていくことなのかなと思うんです。

海北 そうかもしれないですね。あと最近思うのは、歳を重ねることと、老いることは、決してイコールじゃないのかなって。受け入れることを諦めた瞬間から、人は老いていく気がするんです。やっぱり僕が憧れている先輩方って、どこかでそういう受け入れを続けている人たちな気がするし、僕もそうあれたらいいなと。

■それと同時に抵抗したい気持ちもあるんじゃないかと思っていて。

海北 そうですね。そう言いながら抗ってたりもしますし。

■それが「席を譲れよ 割食ってんだってこっちは」と歌う“Merino suit”に現れてるのかなと思ったんです。ただ、この歌詞は先輩方から変な誤解を招きかねないとも思って……。

海北 僕は単純にかっこいい歌詞が書けたなと思って、すごく気に入ってますよ。でも先輩に対しては、ケンカを売るべきだと思ってるというか。それに対して、やっぱり受けてくれますからね。そういう先輩たちにLOST IN TIMEは愛されながらやってこれた感覚があって。それはリスペクトの気持ちがあるし、僕自身も後輩からしたら「いい加減、席譲ってくれないかな」と思われているかもしれない。だから、そういうことは歌っていきたいと思うんです。

■歳を重ねるごとに穏やかになってきたイメージがあったんですけど、こういう面が見えてちょっとうれしかったんです。

海北 そういう意味だと、いちばんギラッとできるのは、アラフォー前後な気もするんですよ。不惑なんて言いますし、惑わず自分の信念で……まぁ、実際は惑いっぱなしですけど。(笑)

■“オクターブ”も「ドからドまでの白と黒で 出来る事なんてもう出尽くしている」という歌詞が強烈で。これはどういう想いを?

海北 それを言ったところで何にもならないけど、どうしても言いたくなってしまうことがあって。だとするならば、それをただ言葉にして不穏な空気になるより、歌にしたほうがいいんじゃないか。歌っていうのは、そういう気持ちに対しての救いだと思うので、歌にすることで希望に置き換えられたらいいなって。ドレミファソラシドの“オクターブ”は、黒鍵を合わせると13の音色ですけど、統計学的に見たら、そのなかでの羅列を使ったものは出尽くしているはずなんです。

■音楽として成立する組み合わせなんて限られますしね。

海北 だけど誰かが歌ってるから、自分は歌ってはいけないということではなくて。もっとみんなも歌うべきだと思うんです。単純に音楽的に歌うということではなくて、日々を歌うというか。誰かの二番煎じになるかもしれないし、出枯らして色もつかないお茶になるかもしれないけど、自分にとっては一番煎じなものだという気持ちは、いますごく希薄な時代になってきている気がしていて。

■すぐにパクリだなんだと言われたり。

海北 いまは過去の出来事がアーカイブされて、すぐ拾い上げられるじゃないですか。これは映画の『クリード』を見て思ったことなんですけど、『ロッキー』の続編なんですよ。ロッキーのライバルのアポロ・クリードの子供が主人公で、その子供がボクサーになるんですけど、ちゃんと『ロッキー』のストーリーも継承しつつ、新しいストーリーになっていて。その子供がロッキーを訪ねて、俺のトレーナーになってくれっていうところから物語は動き出すんですね。その映画の論評を見ているなかで、いろんな人が言ってたのが、過去のレジェンドたちが築いてきたものは、調べればあっという間に手に入る。でも、そういうものを作った人たちは、昔はよかったみたいなことを言う。じゃあ、いまから新しいものは始められないのか。僕らは過去をなぞることしかできないのか。それに対しての、ひとつの答えがこの映画にはあるみたいな。それは本当に的確な、ひとつの解だなと思ったんです。

■どういうことですか?

海北 僕らが使っている言葉にしても、音楽にしても、過去の焼き直しという側面はおおいにありますよ。ただ、僕らが生きているのは「いま」でしかなくて。いまを生きている僕らが、フレッシュだと思うことに挑み続けてさえいれば、それが自分自身へのいちばんのエールになるんじゃないかなって思ったというか。

■否定的な歌詞というわけじゃない?

海北 僕としては、今作で棘のある言葉をいっぱい並べたのは、その裏側にものすごく肯定的な感情があるからだと思うんです。さっきの“Merino suit”も、僕のなかでは誰にも気づかれないように、自分で磨いてきた牙だったり、毒だったりが、使えるタイミングになって「よし!」と思ったら、スーツが脱げなくなっちゃってるみたいな。そういうズッコケ感をよく書けたなっていう。

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