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175R WEB LIMITED INTERVIEW

「世代を超えてロックバンドを好きになる入り口になれば」
SHOGOの175Rに対する想いとは

2000年代前半、中高生を中心にブームを起こした“青春パンク”。パンク・ロックのサウンドをベースに「青春」をモチーフにした楽曲は、どんなに時代を超えても、何度聞いても、色褪せることのないことを“175R”は証明してくれている。2003年に1stシングル『ハッピーライフ』でメジャーデビューした彼らは、オリコンチャートで好成績を残し続け、その後NHK紅白歌合戦に出場。瞬く間に人気を博していった。だが、2010年にバンド活動を休止。それから6年に渡る休止期間を経て、昨年12月に再活動を発表した。そして今月5日にはニューシングル『SUMMER VACATION』をリリース。これはKAZYA(Gt)が脱退し、3人編成となってからの初シングルとなる。VANITYMIXでは、バンド活動休止中のことやKAZYA脱退、“夏”をテーマにした新シングルについてSHOGO(Vo)に話を訊いた。

<活動休止期間を経て“心が健康になった” >

■昨年12月の骸骨祭りを皮切りに、約6年振りとなるバンド活動を再開してみて今、いかがですか?

SHOGO 休止中にメンバーが個々でやっていた活動に加えて175Rがまた始まったので、とにかく忙しい毎日ですね。僕で言うと、先日まで舞台の千秋楽で大阪にいたので、個人としての活動との合間に175Rが入ってくる。逆もしかりですね。休みなく、各メンバー動いているので、意外とメンバーが揃うのが困難というか。打ち合わせをしても誰かが不在なこともあって。それが不思議ですね。

■不思議というと?

SHOGO これまでずっと175R中心にメンバー4人で活動してきましたが、6年という長い月日も休んでいると、個々の活動で忙しくなっている。それは嬉しくもあるんですけどね。そんなかで175Rのライブをやると、やっぱり楽しいんですよ。メンバー全員が、それぞれの活動とは違うことが175Rで出来ている。ホームに帰ってきた、という感じですね。

■休止期間を経て、175Rの活動で活かされていることは何かありますか?

SHOGO 僕がソロ活動をしていたときは、<しっかり歌と歌詞を届ける>をモットーにしていたので、歌謡曲を中心にやっていました。僕のルーツであり、学生時代に聴いていた尾崎豊さんを歌ったり。そうすると、ライブのパフォーマンスも変わってくるんですよね。そういった活動が、もう一度<175Rの音楽をやりたい>と奮い立たせてくれました。175Rをやってきたときよりも、175Rというバンドが明確に見えたような気がするし、休止期間中からやっているソロ活動や舞台の仕事も楽しくて。何か一つに固執するとストレスも出てくるので、今の方がいいバランスだなって。175Rを1本でやっていたときよりも、心が健康になったんだと思います。

■休止前は音楽1本だったのが、当時は悩みでもあったという感じでしょうか。

SHOGO そうですね。元を辿れば、メジャー2作目の“空に唄えば”で「あの日の夢は 今も僕を縛りつけて」という歌詞があるように、きっとその当時から悩んでいた部分があったんですよ。あの曲は僕の仲間に歌った曲ですが、どこかで趣味が仕事に変っていく葛藤があったのかもしれない。好きだからこそ何かを我慢しなきゃいけないことって出てくるじゃないですか。それは大人になっていけば理解できることなんですが、あの時は分からないことも多かったし。反抗的になったりもしましたね。

■そうだったんですね。

SHOGO 175Rは4人でやっていることなので、一人ひとりが音楽に対する想いってバラバラだし、最初はそれで良くても2~3年経っていくうちに、気づけば収拾がつかなくなっていたり。ただ、175Rの場合は僕しか作詞作曲をしないので、僕が無理やり引っ張っていけばメンバーが着いてくるんですけど……それに疲れたタイミングが活動休止だったと思う。僕は175Rがやりたいから、一度休みたいと。みんなには、それぞれのやりたいことを自由にやってみなよと伝えました。

<すべての出来事は“点と点”で繋がっているんだなって>

■葛藤のなかで見つけた答えが活動休止だったんですね。でも、なぜ休止中は国外のロンドンに行かれたんですか?

SHOGO 日本にいたままだと、絶対お誘いくるじゃないですか。例えばDJやってくれ、とか。(笑)全然そんなつもりなかったので、日本から出た方が僕のためになると思って。今まで175Rしかやってこなかったから、これからは自分の人生で、しかも海外行くならこのタイミングしかないと思って。日本から一歩外に出てみると、やっぱり世界は広いんですよ。僕がメンバーと足並み揃わない悩みなんて、海外の公園で考えただけで、ここにいる人何も関係ないと思って。175Rさえ知らない人ばかりだし、そんな環境で公園の片隅で悩んでいる俺。(笑)なんてちっぽけなんだと。やっぱりロンドンでの生活は大きかったですね。久しぶりに学生生活を送ったりもして、宿題に悩まされて。筆箱もそれまで持ったことがなくて、留学してから初めて自分で鉛筆や消しゴム買いに行きました。(笑)

■SHOGOさんが消しゴム買っているところ、想像つかないです。(笑)

SHOGO それは今でも使っているんです。日本に帰ってきて舞台の世界に行ったとき、台本にたくさん書きこんだりするので。それも含めて、点と点が繋がるんだなって。些細なことでも。

■その後、ロンドンでの生活を終えて帰国されて、舞台役者として活動を始められたと。

SHOGO 日本に帰ってきても175R以外にやりたいことがないから、<何しようかな>と思っていたときに舞台に誘われてやってみたり。有り難いことにお誘いもたくさんいただきまして。でも舞台ばっかりやってると、観に来てくれたファンに「もう歌わないんですか?」と聞かれたこともありました。(笑)「いや、そんなつもり全くないよ!」と言って、ソロを始めてみたり。ソロで175Rに似た楽曲をやるのは嫌だったから、僕が元々好きだったミュージシャンを始め、いろんな方と共作してましたね。それまでは自分の好きだと思った音楽しかやりたくないと思っていたので、誰かと共作するという、新しい変化がおもしろかったですね。それは舞台でも同じで、センターではなく、脇を固めていく役もすごく楽しい。そんな経験をしてから175Rに帰ったときに、<メンバーは絶対4人!>とこだわっていたことも<ツインギターを入れてみよう><新しいプロデューサーとやってみよう>という気持ちに変わっていました。そういったのも休止期間中の出来事がきっかけだったと思います。

■活動休止中に得たものが、今プラスの要素となって活きているんですね。

SHOGO 結局は全部、点と点で繋がるんだなと思います。

■なるほど。ところで、活動休止中は音楽などをチェックされていたんでしょうか?

SHOGO 活動休止してからは、日本にいても音楽番組はあまり観ないようにしていましたね。とにかく音楽から離れたかったから。僕、音楽が嫌いなんじゃないかって思う時もあって。好きだからバンドも始めたのに。誰からも言われず、自発的に始めて唯一続いているものなのに、それを嫌いになるって本末転倒だと。きっと分かってくれる人、いると思うんですよ。この世界ってメジャーデビューして夢を叶えたと思っても、現実と違うことがあるので。そんななかでランキングが出たりしてね。

■ランキングの順位に捉われたり、周りを気にしすぎてしまうという。

SHOGO ランキングじゃないんですよ、音楽って。その人にとっては、かけがえのないものだったりするから、それがオリコン1位にならなくても、誰かの心の1位取っていたりするじゃない。でも本人が周りから言われることって、テレビに出るランキングのことだったりするし。仕方ないことかもしれないけど。それで悩んで答えが出ないまま、事務所との契約が切れて辞めていく人も周りにたくさんいたんですよ。一度辞めたら、もうライブに行かない、ギターは弾かない、むしろ売っちゃったって聞くとやっぱり寂しい。

■そんなこともあったんですね。

SHOGO 僕らは有り難いことに175Rというバンド名だったり、“空に唄えば”などの楽曲を聞いてくれたリスナーからの声が多かったので、それが助けになっていたんです。ただ、活動休止したときはそれが助けかどうかさえ、分からなかった。だから思い切って海外に住んで、時間とともに癒されていったというのもあると思います。

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