聴覚を入口に聴き手をここではないどこかへと誘うGLIM SPANKYのニューアルバム
1960年代後半に発生し、全世界的に流行したサイケデリック・ロック。幻想的且つ想像を掻き立てる要素も持っている、たゆたうようなトリップ性を擁したロックのいちジャンルだ。デビューよりこれまでパワフルでソウルフルなインパクトたっぷりの楽曲を中心に発信してきたGLIM SPANKYだったが、今回の3rdアルバム『BIZARRE CARNIVAL』の中心に幹するのは、そのサイケデリック・ロック (以下 : サイケ、サイケデリック)性だったりする。昨今の視覚中心のバーチャリスティックに反して、あえて聴覚からのバーチャル性やインナートリップを主眼に、聴き手をここではないどこかへと誘ってくれる楽曲が立ち並んだ今作。これまでのノリやパワフルさとは違った、心地良さや気持ち良さを味わわせてくれるところも印象的だ。
■これまでのパワフルでガツンとくる作品印象から、サイケデリックやインナートリップな路線で来たなというのが、今作を聴かせてもらった率直な感想です。
松尾 まさにその通りです!実は今回のようなテイストが元々のGLIM SPANKYだったりもするんです。デビューする前は、わりとこのようなテイストだったりもして。逆にパワフルなGLIM SPANKYはメジャーデビュー以降に打ち出したものだったりするんです。
■どうして今回のタイミングでそれらを再び?
松尾 本来やりたかった音楽は実はずっとこっちだったんです。ただ、誰もGLIM SPANKYのことを知らない段階で世間にアピールする際に、まずは「GLIM SPANKYは2人組のロックバンドなんだ!!」ということを提示することから始めなくちゃなって。となると、やはり最初はガツンとしたロックで打ち出して、周知してもらってから深みを出して行く方が賢明だろうと。そこで、1枚目、2枚目のアルバムでは自己紹介の意味合いも込めて、自分たちのガツンとした部分を前面に出してみたんです。で、3枚目でようやく私たちの更に深いところを見せられる時が来たなと。
■周知してもらうにはインパクトやパンチが大事なところもありますもんね。そして、それが功を奏したと。
松尾 ロックを聴いてこなかった若い子たちに、いきなり「60年代のサイケデリックロックが…」と解いたところで、相手にされなかったでしょうから。(笑)大衆的にも伝わるものを作りつつ、より深いところも攻めていく。そうすれば若い人にも少しずつ分かってもらえるだろうと。それもあり、あえて1枚目、2枚目では控えていたところもありました。GLIM SPANKYが深い森だとしたら、1枚目、2枚目がその入り口で、3枚目で一つ目の広場に到着した。そんな段階です。
■たぶん1枚目からこの路線だったら、違ったファンの付き方だったでしょうね。
松尾 通な方は食いついたり、ニヤリとしてくれたんでしょうが、私たちが望んでいたのは、そういった層だけじゃなく、幅広くいろいろな人にファンになってもらいたかったですから。元々、「日本語で世界的なロックを!」を掲げていたし、日本で20年後、30年後もロックのいい土壌が出来ていることが私たちの目標でもあったんで。
亀本 とは言え、今作も「実はこれが自分たちの本質です!」ではなく、一部なんですよ。なので、今作もあえて1枚丸丸そういった路線で統一してないし。要所要所ではガツンとしたロックやサイケじゃないロックも用意していますから。自分たちの好きな要素をこれまで以上にいろいろと合わせて、よりGLIM SPANKYの音楽性を不偏的なものにした、その新たな一歩的な作品かなと。
■でも、現在のサイケデリックと昔の当たり前にあったサイケデリックとでは、本質的にも違いますよね?
松尾 私的には、何故今回サイケというものを再びやったのかには明確な理由があって。基本、音楽や娯楽って自分をトリップさせられるものじゃないですか。例え嫌なことがあっても、ロックのライブに行けばそんなことを一瞬でも忘れさせてくれる。そんなトリップが出来るツールでもあると考えていて。現在、そのような現実逃避が出来るツールってめちゃくちゃ存在してるじゃないですか。ゲームもそうだし、映画もそうだし…。それらの中で改めてロックの居場所を提示しようと思った際に、ロックの何がすごいかって、どんな人でも聴けば多少強気になれたり、嫌なことがあっても頑張ろうと思えたりと、良い意味で現実逃避できる最強のツールだってところで。それを今の時代に発信していきたくなったんです。で、いざ発信しようとなった時に、パッと浮かんだのがサイケデリックという言葉で。これを通せばより分かりやすいし、今の時代にも通じる。そこからですね。